2012年7月25日 星期三

胥,誥,肩,俶,刻畫、胥吏,俶擾,臧獲,好貨,宣慰


五四
民謳為一種風謠,所以刺時政之得失;「小雅」「巷伯」之詩,已啟其端。「左傳」所載,尤為刻畫:如宋人之諷華元、鄭人之歌子產,則其類也。班、 范兩書,採取尤夥。而臺灣亦有一二:蔡牽之亂,俶擾海上。薛志亮為臺灣知縣,募勇守城,與民同疾苦;而守備吉凌阿號知兵。民間為之謳曰:『文中有一薛,武 中有一吉;任是蔡牽來,土城變成鐵』。及平,眾多其功。咸豐初,安邱王廷幹任臺灣縣,性貪墨,折獄徇私。民間為之謳曰:『王廷幹,看錢無看案』!後調任鳳 山,死於林恭之亂;妻子、臧獲被殺者二十有八人,吏民無有顧者:亦好貨之罪也。


◎ 刻畫 kèhuà

--------------------------1. 雕刻繪畫。 《韓非子·詭使》:“而綦組、錦繡、刻畫為末作者富。” 郭沫若《遊西安》:“塔之基層四方各有一門,門楣原有刻畫。”
塔之基層四方各有一門,門楣原有刻畫。 ——郭沫若《遊西安》

2. 謂精細地描摹,塑造。唐杜甫《白鹽山》詩:“詞人取佳句,刻畫竟誰傳。” 宋曾鞏《東津歸催吳秀才寄酒》詩:“心知萬事難刻畫,惟有醉眠知不忝。” 宋蘇軾《歐陽少師令賦所蓄石屏》詩:“含風偃蹇得真態,刻畫始信天有工。” 柯靈《香雪海·我們曾經生活在泥淖裡》:“劇中著力刻畫的,是一家下等客店裡的眾生相。”
刻畫入微  /刻畫英雄人物形象
3. 指過分地雕琢字句。宋曾鞏《<強幾聖文集>序》:“氣質渾渾,不見刻畫,遠近多稱誦之。” 清王韜《蘅花館詩錄·自序》:“竊見今之所為詩人矣,撦撏以為富,刻畫以為工。”




 3.   部首 人 部首外筆畫 8 總筆畫 10
 注音一式  ㄔㄨˋ
 漢語拼音  ch   注音二式  ch 


美善。說文解字:「,善也。從人叔聲。詩曰:『令終有』。」段玉裁˙注:「按釋詁、毛傳皆曰『淑,善也』。蓋假借之字,其正字則也。」

作。詩經˙大雅˙崧高:「有其城。」毛亨˙傳:「,作也。」

整理。通「束」。見「裝」條。


開始。爾雅˙釋詁上:「,始也。」詩經˙小雅˙大田:「以我覃耜,載南畝。」鄭玄˙箋:「,始也;載,事也。」北史˙卷四十三˙李崇傳:「嵩都創構,洛邑營,雖年跨十年稔,根基未就。」
ㄊ|ˋ t



整理行裝。文選˙張衡˙思玄賦:「占既吉而無悔兮,簡元辰而。」陳書˙卷十九˙虞荔傳:「必願使爾裝,且為出都之計。」忽然。唐˙柳宗元˙至小邱西小石潭記:「遠逝,往來翕忽,似與游者相樂。」
 
◎ 俶擾 chùrǎo
chù rǎo  ㄔㄨˋ ㄖㄠˇ

[begin to disturb] 開始擾亂;動亂;騷亂兵戈俶擾--------------------------1. 開始擾亂。 《書·胤徵》:“惟時羲和,顛覆厥德。沉亂於酒,畔官離次。俶擾天紀,遐棄厥司。” 孔傳:“俶,始;擾,亂。 2. 騷擾;擾亂。唐顏真卿《祭伯父豪州刺史文》:“日者, 羯胡祿山俶擾河洛,生靈塗炭。” 宋羅大經《鶴林玉露》卷十一:“ 福州啟運宮,在開元寺,有七祖禦容塑像,乃西京陵寢之舊。南渡之初,迎奉於此。時金兵俶擾,倉忙間,載以籃輿七乘。” 章炳麟《訄書·別錄甲》:“ 吳三桂弒末帝於雲南, 謙益復和《秋興》詩以告哀。凡前後所和幾百章,編次為《投筆集》,其悲中夏之沉淪,與犬羊之俶擾,未嘗不有餘哀也。”3. 動亂。唐獨孤及《奉和李大夫同呂評事太行苦熱行兼寄院中諸公》:“ 趙魏方俶擾,安危俟明哲。” 明宋濂《宣慰曾侯嘉政記》:“自中原俶擾蔓延大江之東,兵連不解,殆將十稔。” 清魏源《聖武記》卷五:“蓋自第五世達賴卒後三十餘年,兩立假剌麻,西陲俶擾至是始定焉。” 李大釗《日本帝國主義最近進攻中國的方策》:“ 日人之宣傳目的,即在掩飾其乘中國俶擾,不欲實行華府會議決議之意。”




胡適秘藏書信選: 2 卷﹔第 2
       
books.google.com.tw梁錫華, 胡適, 梁錫華 - 1990 - 958 - 摘要檢視
今日之「敎育部特設北平大學臨時補習班」,其範圍略當於昔日國立八校,師生猶仍僞組織之舊,名爲改弦更張,實則換湯不換藥,黨國要人來此,輒慰勉有加。如張溥泉君,宣慰使也,其言曰:「不問僞不僞,只問奸不奸」。若知堂之受職,僞則有之矣,可卽謂奸乎?

 1. 宣慰
 注音一式 ㄒㄩㄢ ㄨㄟˋ
 漢語拼音 xu n w i  注音二式 shiu n w i
安撫慰勞。如:「宣慰僑胞」。
職官名。元、明在邊地宣布政令以安慰人民之官。民國初年亦曾於蒙古等地置宣慰使。



臧獲
ㄗㄤ ㄏㄨㄛˋzāng huò

古代對奴婢的賤稱。 《荀子·王霸》:“大有天下,小有一國,必自為之然後可,則勞苦秏顇莫甚焉;如是,則雖臧獲不肯與天子易埶業。” 唐皇甫枚《三水小牘·王知古》:“臧獲有不如意者,立殺之。” 清錢泳《履園叢話·譚詩·以詩存人》:“古者奴婢皆有罪者為之,謂之臧獲。” 範文瀾蔡美彪等《中國通史》第一編第四章第十一節:“ 墨家認為官無常貴,民無終賤,臧獲(奴隸)也是人。”


好貨

古代在飲宴時,為表示友好而贈送給客人的禮品。 《左傳·昭公五年》:“宴有好貨,飧有陪鼎。” 孔穎達疏:“謂主國宴賓以貨財為恩好,謂衣服車馬在客所無者與之也。” 《國語·周語二》:“使郤至告慶於。未將事, 王叔簡公飲之酒,交酬好貨皆厚。”1. 貪愛財物。 《孟子·梁惠王下》:“寡人有疾,寡人好貨。” 明王世貞《藝苑卮言》卷三:“讀子桓'客子常畏人',及答吳朝歌、 鐘大理書,似少年美資負才性,而好貨好色,且當不得恆享者。”2. 指貪財的人。 《書·盤庚下》:“朕不好貨。” 孔傳:“我不任貪貨之人。”



xiǎng ㄒㄧㄤˇ 1. 受用:~福。 ~樂。 ~譽。 ~年(敬辭,享有的年歲,對人或朝代而言)。 ~受。 ~用。 ~有。 ~國(帝王在位年數)。安~。分~。2. 貢獻(指把祭品,珍品獻給祖先、神明或天子、侯王),上供:~堂。 ~殿。
領頭字
解形
《說 文》:“肩,髆也。从肉,象形。肩,俗肩从戶。”王筠釋例:“黹躯埙月伛肩所從之躯鄄埙戶,則皆係象形,非門戶字,乃象其肩之上方闊而下連 也迆,此字應上曲,門戶字不應上曲……俗肩從戶之說,必非許君原文,乃後人不明六書,見其似門戶字,而以意改之,不知戶亦作躯鄄埙也。”
注音
釋義
(一)jian1《廣韻》古賢切,平先見。元部。 (1) 人的頸下與兩臂相連部分。如:肩頭;並肩前進。《說文‧肉部》:“黹躯埙月伛髆也……俗肩从戶。”《玉篇‧肉部》:“肩,肩髆也。”《廣韻‧先韻》: “肩,項下。”《孟子‧滕文公下》:“脅肩諂笑,病于夏畦。”《靈樞經‧經脈》:“後廉出肩解,繞肩胛,交肩上。”魯迅《華蓋集續編‧記念劉和珍君》: “同去的楊德群君又想去扶起她,也被擊,彈從左肩入。” (2)四足動物前腿的根部。如:肩;羊肩。《韓非子‧說林下》:“此其為馬也,踒肩而腫膝。”《史記‧項羽本紀》:“項王曰:‘賜之彘肩。’則與一生彘肩。”三國魏曹植《七啟》:“生抽豹尾,分裂貙肩。”
(3)擔,擔負。如:身肩重任。《左傳‧襄公二年》:“鄭成公疾,子駟請息肩於晉。”杜預注:“欲辟楚役,以負擔喻。”宋熊鉌《擣衣曲》:“老農肩米肉成瘡。”《徐霞客遊記‧黔遊日記一》:“余飯而待之,送者亦不至,乃雇夫分肩行李,從舊司北向逾嶺行。”
(4)任用。《廣韻‧先韻》:“肩,任也。”《書‧盤庚下》:“朕不肩好貨,敢恭生生。”孔傳:“肩,任也。我不任貪貨之人。”孔穎達疏:“我今不委任貪貨之人。”
(5)勝任。《爾雅‧釋詁上》:“肩,勝也。”《古今韻會舉要‧先韻》:“肩,勝也。肩強能勝重堪任義。”又振作。《爾雅‧釋詁下》:“肩,作也。”邢昺 疏:“肩者,勝任之作也。”又克服。《爾雅‧釋詁上》:“肩,克也。”《書‧盤庚下》:“式敷民德,永肩一心。”楊樹達讀書記:“肩,克也,勝也,今言克 服。”
(6)等級。清彭養鷗《黑籍
魂》第六回:“次一肩的,捐個府廳州縣;沒有志氣的,也捐個佐貳雜職。”
(7)三四歲的獸類。《廣雅‧釋獸》:“獸三歲為肩。”《詩‧齊風‧還》:“並驅從兩肩兮,揖我謂我儇兮。”毛傳:“獸三歲曰肩。”《後漢書‧馬融傳》: “絹猑鹃钫虒,鏦特肩。”李賢注引《韓詩‧齊風》薛君傳曰:“獸三歲曰肩。”《周禮‧夏官‧大司馬》:“大獸公之,小禽私之”清孫詒讓正義:“鄭司農注: ‘四歲為肩。’……亦釋《詩》義。明豵一歲為小,肩四歲為大也。”
(8)量詞。《徐霞客遊記‧滇遊日記九》:“油碧輿五六肩,乃婦人之遊於林間者。”《儒林外史》第四十一回:“自己一肩行李,跨一個疲驢,出了泗州城。” 魯迅《彷徨‧祝福》:“衛老婆子仿佛卸了一肩重擔似的噓一口氣;祥林嫂比初來時候神氣舒暢些,不待指引,自己馴熟的安放了鋪蓋。”
(9)姓。《萬姓統譜‧先韻》:“肩,見《姓苑》。金肩龍,字舜卿,宣宗初欲殺從坦,肩龍上書謂坦有將帥材,願代死。”
(二)xian2《集韻》胡千切,平先匣。 (1)瘦小的樣子。《集韻‧先韻》:“肩,羸小。” (2)直貌。《集韻‧先韻》:“肩,直。”

  部首 言 部首外筆畫 7 總筆畫 14
 注音一式 ㄍㄠˋ
 漢語拼音   o  注音二式 g u


上位者告諭下位者。易經˙姤卦˙象曰:「天下有風,姤,后以施命四方。」


文體名。古代用來告誡他人的文字,後成為君王諭令臣下的專用文體。如:「康」、「洛」、「酒」。


宮崎の研究姿勢は内藤湖南の提唱した唐宋変革論を受け継ぎ、社会経済史の立場に加え、西アジアヨーロッパとの交流の影響及び比較の上に立って、唐以前を中世・宋以後を近世と設定し、さらにそれを裏付けるために宋代に於ける政治・制度・社会・経済などの研究から始まった。1950年「中国近世における生業資本の賃借において」に始まり幾つかの論考を発表。またその一つが科挙の研究となる。そこから派生して胥吏の研究に入り、胥吏の淵源を探ろうとして著されたのが『九品官人法の研究』である。さらに明清時代の景気変動の考察の延長に、景気変動史観を着想した。


.   部首 肉 部首外筆畫 5 總筆畫 9
注音一式 ㄒㄩ
漢語拼音 x 注音二式 shi

古代掌管捉捕盜賊的官,後泛指小吏。如:「吏」。唐˙柳宗元˙封建論:「是故有里而後有縣大夫。」宋˙梅堯臣˙田家語詩:「里扣我門,日夕苦煎促。」

姓。如春秋時晉有甲。

等待。孟子˙萬章上:「帝將天下而遷之焉。」史記˙卷四十三˙趙世家:「左師觸龍言願見太后,太后盛氣而之。」

視察。詩經˙大雅˙公劉:「于斯原,既庶既繁。」

相、互相。書經˙大:「惟大艱人,誕鄰伐于厥室。」公羊傳˙桓公三年:「命者何?相命也。」

皆、都。詩經˙小雅˙角弓:「爾之教矣,民傚矣。」南朝梁˙劉勰˙文心雕龍˙原道:「天文斯觀,民以傚。」


語末助詞。表示語氣。詩經˙大雅˙韓奕:「籩豆有且,侯氏燕。」


1. 胥吏
注音一式 ㄒㄩ ㄌ|ˋ
漢語拼音 x  l 注音二式 shi  l
職官名。古代掌理案卷、文書的小吏。新唐書˙卷二十四˙車服志:「胥吏、商賈之妻、老者乘葦軬車,兜籠舁以二人。」唐˙柳宗元˙梓人傳:「其下有胥吏,又其下皆有嗇夫、版尹,以就役焉。」或稱為「胥鈔」。

胥吏

胥吏(しょり)とは、旧体制下の中国や朝鮮において、庶民でありながらも役人の仕事をする者を規定した用語である。正規の高等官僚としての官人と対応し、両者を併せ、「官人」の「」と「胥吏」の「」で官吏と呼ばれる。

目次

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中国 [編集]

用語としての初出は、南北朝時代後半に相当するの時代である。代に盛んに任用されるようになり、では流外官とも呼ばれた。代になって、科挙制度が確立するのと表裏一体をなすように、胥吏も法制上、明文化されて、朝まで存続する。
その任用は、中央では政府の各部局、地方では地方の官庁に任命された官人が、民間の希望者を募集することによって行なわれる。身分は、当然、庶民の ままであり、徭役に徴用されるのと同様の扱いである。よって、胥吏に俸禄は存在せず、必要経費的な名目で若干支給させる程度である。
胥吏にも職務体系が存在し、胥吏頭が徒弟制度によって配下を養成する仕組みが出来上がっていた。ただ、胥吏には俸給がないので、職務上において関わりをもつ庶民より手数料を徴収することによって利を得ていた。それを「規例」や「陋規」などと呼んでいたが、実質的には賄賂と明確な区分ができず、庶民を搾取する結果となった。
胥吏頭は、任期に相当する年限が規定されており、その年限が満期となれば、職を離れなければならなかった。その場合に、下級の官人に任用する制度も 存在したが、胥吏頭まで勤めた者は、その役得を忘れ得ず、名を変えることで実質的には再任される者が殆どであった。また、その権利を株として私有し、権利 金を徴収して他人に貸与したりすることで、更なる利を得るようになった。
また、任期が切れると異動することを定められた官僚に対して、胥吏には土着の顔役的存在が徴用され、任期が切れても実質的な再任が行なわれ、また、徒弟制度による継承体制も存在したため、長らく同族や地縁的な集団によって寡占される傾向が強かった。
このような利を貪る体質と、それによって人民が苦を受けた行政制度上の甚だしい害悪が強調され、中国の旧体制の権化を表す用語として用いられる。

朝鮮 [編集]

高麗では、地方の豪族が任命されていたが、中央集権制と両班による支配が確立されると、胥吏の地位は低下した。李氏朝鮮では、世襲の賎民とされ、特殊な服装を強制された。俸禄を支給されなかったので、不正や収奪が横行した[1]

脚注 [編集]

  1. ^ 平凡社編『朝鮮を知る事典』平凡社、1986年

関連項目 [編集]

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