2020年8月24日 星期一

丼, 丼物 Donburi


字號C00019正字 - 04 - 05 
說文釋形大徐本:,八家一井,象構韓形。□[],甕之象也。古者伯益初作井。凡井之屬皆从井。(子郢切)
段注本:,八家為一丼,象構韓形。,甕象也。古者伯益初作井。凡丼之屬皆从丼。(子郢切)
注音(一)ㄉㄢˇ (二)ㄐㄧㄥˇ
漢語拼音(一)dǎn (二)jǐng
釋義(一)ㄉㄢˇ
投物入井的聲音。四部備要本《集韻.上聲.感韻》:「丼,投物井中聲。」
(二)ㄐㄧㄥˇ
」之異體。





歴史[編集]

日本料理の中ではそれほど古い歴史を持つ食事形式ではない。室町時代に「芳飯」という料理が流行したことはあるが、鰻丼の原型となる鰻飯が登場するのは19世紀初めの文化年間(1804~1818年)になってからで、天丼や、のちに深川丼とも呼ばれるようになる深川めしの誕生は江戸時代末期以降といわれている。
明治初期には他に牛丼開化丼、19世紀の末頃には親子丼が提供されるようになり、大正時代1913年にはカツ丼が紹介された。このように丼物の様式は徐々に広がり受容され、様々な料理が丼飯として食べられるようになっていった。現在では帝国ホテルハイアットリージェンシー東京といった一流ホテルのレストランにおいても気取らない創作丼が提供されるなど、丼物の在り方も広がりを見せている[1]

食べ方[編集]

古来、日本の上流階級の食事は、主食であるご飯とおかずが別々に配膳され、それを一箸ごとに口に運ぶという様式を基本としていた。今でも主食におかずを乗せることを忌避する人も残るほどである。
しかし、江戸の町人文化が開花するとともに、短気で飾らない職人たちの食文化は広がりを見せる。人々はぶっかけ蕎麦(のちのかけそば)を常食とし、その他のおかずも飯の上にぶっかけた。各種大衆料理本などの著者である遠藤哲夫は、『ぶっかけめしの悦楽』『汁かけめし快食學』でそれらを解説している。また、1983年の「実践講座 台所の美味学」には「カツ丼も、親子丼も、天丼も芳飯―汁かけめし、の系譜につながる」と記述されている。NHK出版『「うつわ」を食らう』の著者で民俗学者の神崎宣武も、熊谷真菜の『ふりかけ』で「中世から近世に入るまで、一汁一菜形式の食事の前は、ぶっかけ飯が主流、と想定してよいでしょう。日本食の原形として、ぶっかけ飯は見逃せないということです」と述べている。
このようにおかずをご飯の上にたっぷりとかけた丼物は、今でも時間がかからず気取らない食事として好まれ、階級を越えた代表的な和食として海外にも紹介されるに至っている。
なお丼物の蓋は、出前か否か、また料理によって使用するかしないかは様々である。天丼やカツ丼などでカリカリとした衣の歯応えを残したい場合は蓋をしないが、蓋をすることで蒸されて柔らかくなった状態を完成形とする老舗の天ぷら店もある。また蓋の中にまで具材を詰め込み、こんもりとした山盛り状態を形成する丼料理を提供する店も存在する。

古典的な丼物各種[編集]



ウェブ検索結果

丼物(どんぶりもの)とは、ご飯とおかずを一つの丼鉢に盛った日本の料理形式の一つである。 目次. 1 歴史; 2 食べ方; 3 古典的な丼物各種; 4 創作料理; 5 日本国外に由来する丼物風料理; 6 丼物を題材とした作品; 7 脚注; 8 関連項目. 歴史[編集].
Donburi is a Japanese "rice bowl dish" consisting of fish, meat, vegetables or other ingredients simmered together and served over rice. Donburi meals are usually served in oversized rice bowls which are also called donburi. When needed to ...
Varieties of donburi · ‎Gyūdon · ‎Tendon · ‎Unadon

2020年8月23日 星期日

旅;漢字書體的發展 (取自 貝塚茂樹著 《中國的歷史》1964 )








領頭字
解形
《說文》:“旅,軍之五百人為旅。人岙人𡁯,人岙人人岙人;人岙人,俱也。止熷𠻻,古文旅。古文以為魯、衛之魯。”
注音
釋義
(一)lu3《廣韻》力舉切,上語來。魚部。(1)軍隊編制單位。上古一般以五百人為旅,齊制二千人為旅。現代軍隊編制師以下有旅,旅以下有團。《說文‧𡁯部》:“旅,軍之五百人為旅。”《周禮‧地官‧小司徒》:“五人為伍,五伍為兩,四兩為卒,五卒為旅,五旅為師。”《國語‧齊語》:“十連為鄉,故二千人為旅,鄉良人帥之;五鄉一帥,故萬人為一軍,五鄉之帥帥之。”韋昭注:“萬人為軍,齊制也。”北周庾信《哀江南賦》:“孫策以天下為三分,眾纔一旅。”倪璠注引杜預曰:“五百人為旅。”(2)軍隊。《書‧大禹謨》:“班師整旅。”孔穎達疏:“振,整也。言整眾而還。”《隋書‧李密傳》:“明公以英傑之才,而統驍雄之旅,宜當廓清天下,誅剪君熷羊兇。”明袁宏道《邑錢侯直指疏薦序》:“𠻘治者不擇民,猶𠻘將者不擇旅也。”
(3)眾;眾多。《爾雅‧釋詁下》:“旅,眾也。”《左傳‧昭公三年》:“小人之利也,敢煩里旅。”杜預注:“旅,眾也。不敢勞眾為己宅。”《說苑‧辨物》:“不群居,不旅行。”
(4)眾子弟。《詩‧周頌‧載芟》:“侯主侯伯,侯亞侯旅。”毛傳:“旅,子弟也。”清王夫之《讀通鑑論‧漢文帝》:“一家之主伯亞旅,力耕而得六百石之贏餘者幾何﹖”
(5)俱,共同。《禮記‧樂記》:“今夫古樂,進旅退旅。”鄭玄注:“旅,猶俱也。俱進俱退,言其齊一也。”宋王安石《賀生皇子表三》:“以宿痾而自困,欲旅進以無階。”清譚嗣同《延年會序》:“既而杯盤雜沓,精粗旅陳。”
(6)鋪陳;陳列。《集韻‧魚韻》:“旅,陳也。《周禮》:‘皆旅擯。’”《詩‧小雅‧賓之初筵》:“籩豆有楚,殽核維旅。”毛傳:“旅,陳也。”《漢書序傳下》:“周穆觀兵,荒服不旅。”顏師古注引張晏曰:“旅,陳也。”
(7)次序。《儀禮‧燕禮》:“賓以旅酬於西階上。”鄭玄注:“旅,序也。以次序勸卿大夫飲酒。”又:“凡公所酬既拜,請旅侍臣。”鄭玄注:“旅,行也,請行酒於君熷羊臣。”引申為按次序排列。宋沈括《夢溪筆談‧器用》:“青堂羌𠻘鍛甲……以麝皮為糸岙酉旅之,柔薄而韌。”
(8)寄居;客處。《廣雅‧釋詁四》:“旅,客也。”清段玉裁《說文解字注‧𡁯部》:“凡言羈旅,義取乎廬。廬,寄也。”《左傳‧莊公二十二年》:“羈旅之臣,幸若獲宥……所獲多矣。”杜預注:“旅,客也。”《史記‧陳杞世家》:“羈旅之臣,幸得免負擔,君之惠也,不敢當高位。”唐杜甫《奉贈韋左丞丈二十二韻》:“騎驢三十載,旅食京華春。”又指旅客。《易‧復》:“先王以至日閉關,商旅不行。”陸德明釋文:“鄭云:‘資貨而行曰商;旅,客也。’”
(9)植物不種而生。清朱駿聲《說文通訓定聲‧豫部》:“不因播種而生,故曰旅。字書作穭,音呂。”《後漢書‧光武帝紀上》:“至是野穀旅生,麻爀尤盛。”晉陶潛《悲從弟仲德》:“流塵集虛坐,宿草旅前庭。”宋蘇軾《種茶》:“松間旅生茶,已與松俱瘦。”
(10)道路。《爾雅‧釋宮》:“旅,途也。”郭璞注:“途即道也。”《書‧禹貢》:“蔡、蒙旅平。”王引之述聞:“蔡、蒙旅平者,言二山之道已平治也。”《禮記‧郊特牲》:“臺門而旅樹。”鄭玄注:“旅,道也。屏謂之樹,樹所以蔽行道也。”
(11)六十四卦之一,卦形為𠻘熷𠻘,艮下離上。《易‧旅》:“象曰:山上有火,旅。”孔穎達疏:“火在山上,逐草而行,勢不久留,故為旅象。”
(12)養。《廣雅‧釋詁一》:“旅,養也。”
(13)末。《方言》卷十三:“旅,末也。”
(14)周代官名。相當於“下士”,即下大夫。《周禮‧天官‧宰夫》:“四曰旅,掌官常以治數。”鄭玄注:“旅,辟下士也。”《左傳‧成公十八年》:“師不凌正,旅不偪師。”杜預注:“旅,五百人之帥也。”按:《周禮‧夏官序》:“凡制軍……五百人為旅,旅帥皆下大夫。”
(15)祭名。《周禮‧天官‧掌次》:“王大旅上帝。”鄭玄注:“大旅上帝,祭天於圓丘。國有故而祭亦曰旅。”《論語‧八佾》:“季氏旅於泰山。”何晏注:“馬曰:‘旅,祭名也。’”
(16)通“膂”。清朱駿聲《說文通訓定聲‧豫部》:“旅,墒借為膂。”1.脊骨。《正字通‧方部》:“脊骨曰旅。”《周禮‧考工記‧函人》:“權其上旅,與其下旅,而重若一。”鄭玄注引鄭司農曰:“上旅謂要(腰)以上,下旅謂要以下。”2.指體力。晉陶潛《歲暮和張常侍》:“闊哉秦穆談,旅力豈未愆。”
(17)古地名。也作“莒”。在今山東省莒縣。《詩‧大雅‧皇矣》:“以按徂旅。”鄭玄箋:“旅,地名也。”按:《孟子‧梁惠王下》引《詩》作“以遏徂莒”。
(18)姓。《通志‧氏族略三》:“旅氏,《風俗通》‘周大夫子旅之後。’漢高功臣昌平侯旅卿傳封六代,望出南安。又共侯旅罷師傳封四代。”











2020年8月22日 星期六

翎。張翎


一路惶恐:我的疫城紀事

中文書 ,  , 時報出版 , 出版日期: 2020-07-07
, 我筆下記錄的不是事件和數據, 我想還原的是一個糊塗人對外界突發的災難所感受到的哀傷和惶恐。」 ── 一場瘟疫,瞬間將她推入惶恐無助、狼狽不堪的境地中, 當小說般的情節成為現實世界的困境, 以困守孤島般的哀傷與恐懼...... more

三種愛:勃朗寧夫人、狄金森與喬治‧ 桑



張翎(1957年),浙江溫州人,加拿大華裔女作家。

長篇小說[編輯]

  • 《勞燕》(人民文學出版社,2017)
  • 《流年物語》(十月文藝出版社,2016)
  • 《陣痛》(作家出版社,2014)
  • 《唐山大地震》(花城出版社,2013)
  • 《睡吧,芙洛,睡吧》(十月文藝出版社,2011)
  • 《金山》(十月文藝出版社,2009)
  • 《郵購新娘》(作家出版社,2004)
  • 《交錯的彼岸》 (百花文藝出版社,2001)
  • 《望月》 (作家出版社,1998)

中短篇小說集[編輯]

  • 《一個人站起來的方式,千姿百態》(長江文藝出版社,2016)
  • 《一個夏天的故事》(花城出版社,2013)
  • 《戀曲三重奏》(江蘇文藝出版社,2012)
  • 《生命中最黑暗的夜晚》(九州出版社,2012)
  • 《女人四十》(工人出版社,2011)
  • 《餘震》(十月文藝出版社,2010)
  • 《雁過藻溪》 (四川時代出版社,2006)
  • 《盲約》 (花城出版社,2005)
  • 《塵世》 (廣西人民出版社,2004)




 
解釋:
  1. 鳥類的羽毛。多用做箭尾或禮冠上的裝飾品。
    【例】箭翎、藍翎

嵬,馬嵬

莫唱當年長恨歌,人間亦自有銀河。
石壕村裡夫妻別,淚比長生殿上多。
──清.袁枚 〈馬嵬〉 ㄇㄚˇ ㄨㄟˊ



音:
解釋:
(1)
高而不平的樣子。如:「崔嵬」、「嵬峨」、「嵬嵬」。
(2)
狂妄的樣子。如:「嵬瑣」、「嵬說」。

馬嵬
漢語拼音:
mǎ wéi
解釋:
地名。在陝西省興平縣西二十五里。相傳唐時安祿山作亂,玄宗奔蜀,次馬嵬驛,命高力士賜楊貴妃死。也稱為「馬嵬堡」、「馬嵬坡」、「馬嵬亭」、「馬嵬鎮」。


歷史[編輯]

興平市馬嵬鎮楊貴妃墓
天寶十四載(755年)十一月初九,幽州安祿山史思明藉口討伐楊國忠,發動叛亂,是為安史之亂
天寶十五載(756年)六月初九,安祿山攻入潼關唐玄宗於六月十二日決定放棄都城長安、逃亡四川。路上無人接洽,十分辛苦。第三天,駐入馬嵬坡(今陝西興平市驛站
兵變之時,楊國忠逃進西門內,士兵蜂擁而入,將其寸斬;後又使唐玄宗賜死楊國忠的堂妹貴妃楊太真

現代[編輯]

馬嵬驛原址上今建有「馬嵬驛民俗體驗園」,有廢棄的李家坡窯洞和一些泥塑作品。2014年獲批國家3A級旅遊景區,2015年12月10日獲批國家4A級旅遊景區。[1]

經過[編輯]

保護唐玄宗的禁軍缺乏糧食,龍武大將軍(禁軍元帥陳玄禮士卒演講:「今日天下崩離、陛下震盪,難道不是楊國忠侵害、剝削民眾,導致朝野怨恨,才這樣子的嗎?如果不殺他以謝天下,怎麼平息四海人心的怨憤呢?」眾軍士被煽動,怨恨都發洩到楊國忠身上,因此發生兵變。楊國忠逃進西門內,士兵蜂擁而入,將其寸斬
楊國忠死後,士兵將館驛圍住,又要求唐玄宗賜死楊國忠的堂妹貴妃楊太真,以防止日後報復。唐玄宗迫於情勢危急,不得不命令高力士將楊貴妃縊死於佛堂前的梨樹之下,方才穩住軍心。玄禮等將領,才脫去盔甲,叩頭請罪:「國忠敗壞了國家大政,造成了禍亂,使得黎民塗炭,陛下遷徙,這種人不殺,災禍不會停止。臣等是為了社稷大計才殺了他的,在此為矯詔請罪。」玄宗只好慰勞他一番,令他曉諭軍士,史稱「馬嵬之變」。

結果[編輯]

此次兵變中,宰相楊國忠與其從妹玄宗寵妃楊貴妃被殺。
安祿山叛亂時,玄宗本想禪讓太子李亨;但此次兵變後,太子李亨被認為是主謀,使唐玄宗大受打擊。玄宗與李亨於馬嵬驛分道,玄宗向南赴四川,李亨向北收拾殘兵敗將;此後不久,李亨就在靈武自行宣布即帝位,是為唐肅宗改元至德,遙尊玄宗為太上皇

2020年8月20日 星期四

蒿,蒿萊,蒿目時艱



唐守謙詞曲

來—大家來歌頌


歌頌我們的東海。
試看那大度山頭:
當年是滿眼蒿萊,
如今是一片樓臺。
園裡的花兒在盛開,
山上的樹兒已成才。
東海!東海!
你造就無數人才,
你拓開自由的世界。
千年—萬載
光榮—偉大
可愛的東海!
可愛的東海!




蒿目時艱
注音一式 ㄏㄠ ㄇㄨˋ ㄕˊ ㄐㄧㄢ
漢語拼音 hāo mù shí jiān
出處 《莊子‧駢拇》:「今世之仁人,蒿目而憂世之患。」
釋義 蒿目:極目遠望;時艱:艱難的局勢。指對時事憂慮不安。
例句 先本是臺灣的臬台,因~,急流勇退,威毅伯篤念故舊,派了這個清閒的差使。(清‧曾樸《孽海花》第三十回)








ㄏㄠhāo