名優・高倉健さんが亡くなって、10日で3年。出身地にある一家の菩提寺には、このほど記念碑が建てられました。「健さん」をしのぶ場所に、と親族がつくりました。
俳優・高倉健さんが亡くなって10日で3年がたつ。出身地の福岡県中間市にある一家の菩提(ぼだい)寺に、このほど記念碑ができた。「健さん」をしのんで手を合わせられる場所を、と親族がつくった。
健さんの本名は小田剛一という。旧炭鉱地を流れる遠賀川から約1キロの正覚寺が小田家の菩提寺で、健さんの両親や兄も眠る。
境内に建てられた記念碑には、「寒青(かんせい)」の二文字と「高倉健」の署名が彫られた。寒青は漢詩の言葉で、風雪に耐えて青々と立つ「冬の松」を意味する。晩年、座右の銘にしており、腕時計の裏ぶたに彫ってもらっていた。碑の文字には、健さんが知人にあてた色紙の直筆が使われた。
健さんは著書「旅の途中で」(新潮社)で寒青について「とても好きな言葉」と紹介し、「一生のうち、どんな厳しい中にあっても、自分は、この松のように、青々と、そして活(い)き活(い)きと人を愛し、信じ、触れ合い、楽しませるようにありたい」と書いた。こんな思いで男がほれる男、高倉健を演じ切った。
命日を前に、健さんの妹の森敏子さん(82)に記念碑を案内してもらった。
「冬の松の姿は、いかにも兄らしいと思った」。敏子さんは、優しく大きな存在だった兄を思い出さない日はないという。「しょっちゅう電話してくれて」。4人きょうだいのうち健さんと2人になった2006年から、健さんは電話の終わりに、「俺がお前を守るからな」と言い添えた。
敏子さんが「そんなこと言わなくていいから、私より先に死なないで」と頼むと、「分かった」と答え、次から電話を切るときには「人生を楽しめよ」と言うようになったという。
健さんが亡くなった後、養女ら数人で火葬が営まれたという。敏子さんら肉親の元に遺骨は届けられず、今も墓所はない。親族やファンが手を合わせて健さんをしのぶ場をつくろうと、敏子さんとおいたちが記念碑を企画し、今月4日に建立式があった。
8月に「高倉健 七つの顔を隠し続けた男」(講談社)を出版したノンフィクション作家の森功さん(56)は「謎めいた人だったが最後まで謎を残して旅立った」と振り返る。碑について「ようやく冥福を祈る場所ができた。ファンのよりどころになっていくだろう」と話す。
敏子さんは「兄の魂は生まれ故郷にあります」と言った。碑に据えられた銅板には「平成26年11月10日没。この地に眠る」と刻まれており、10日も静かに手を合わせるという。(奥村智司)
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有楽町に移転して1周年を迎えた北九州市東京事務所では、高倉健さんの主演映画ポスター展が開かれている。「映画の街・北九州」の情報発信拠点、松永文庫(同市門司区)を周知し、健さんを「北九州市の誇り」として記憶にとどめてもらうのが狙いで、同文庫収蔵の18点を展示している。
健さんは現在の同市八幡西区にも住み、同区の東筑高校を卒業するなど北九州にゆかりが深い。
東京事務所は、JR有楽町駅前の東京交通会館6階に入っている。「ひまわりテラス」と名付けたラウンジを新設し、交流の場になるよう工夫をこらした。太田知宏次長は「北九州の魅力を知ってもらい、ファンを拡大していきたい」。
1月17日まで(日曜祝日、年末年始は休み)。入場無料。市役所(小倉北区)の1階市民ホールでも今月24日まで映画ポスターを展示する。(貞松慎二郎)
hán qīng
寒青
1.指能給人以清涼感覺的蒼翠色。漢郭憲《洞冥記》卷一:“ 翕韓國獻飛骸獸,狀如鹿,青色,以寒青之色系之。” 宋徐鉉《北苑侍宴雜詠·松》:“細韻風中遠,寒青雪後濃。”
2.指天青色,並以指代天空。孫毓棠《山溪》詩:“學古老夕陽的智慧,把亂霞斂進寒青。”
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