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担当区分古松崇志 草原の制覇 : 大モンゴルまで(岩波新書シリーズ中国の歴史3) 岩波書店 2020/03 日本語 単著
制覇
殿
解形
《說文》:“殿,擊聲也。人岙人殳,䏁尸兀几㗱聲。”段玉裁注:“此字本義未見,假借為宮殿字……又假借為軍後曰殿。”
釋義
(一)dian4《廣韻》堂練切,去霰定。又都甸切。諄部。 (1)擊聲。《說文‧殳部》:“殿,擊聲也。”
(2)古代泛指高大的房屋,後專指供奉神佛或帝王受朝理事的房屋。清沈濤《說文古本考》:“《御覽》一百七十五《居處部》引:‘殿,堂之高大者也。’蓋古本如此。”《正字通‧殳部》:“殿,今惟天子宸居稱殿。”《戰國策‧魏策四》:“要離之刺慶忌也,倉鷹擊於殿上。”《漢書‧霍光傳》:“鴞數鳴殿前樹上。”顏師古注:“古者室屋高大,則通呼為殿耳,非止天子宮中。”唐杜甫《詠懷古跡五首》之四:“翠華想像空山里,玉殿虛無野寺中。”
(3)行軍走在最後。《廣韻‧散韻》:“軍在前曰啟,後曰殿。”《論語‧雍也》:“孟之反不伐,奔而殿。”《文選‧張衡〈東京賦〉》:“殿未出乎城闕,旆已反乎郊畛。”李𠻘注引薛綜曰:“殿,後軍也。”《新唐書‧杜伏威傳》:“(杜伏威)嘗營護諸監,出為導,入為殿,故其黨愛服,共推為主。”魯迅《集外集‧斯巴達之魂》:“斯巴達王以斯巴達軍為第一隊,剎司駭軍次之,西蒲斯軍殿。”
(4)下等;末後。《廣雅‧釋詁四》:“殿,後也。”《史記‧絳侯周勃世家》:“擊章邯車騎,殿。”裴駰集解引孫檢曰:“一說上功曰最,下功曰殿。”《漢書‧宣帝紀》:“丞相御史課殿、最以聞。”顏師古注:“殿,後也;課居後也。”
(5)置於後。《春秋繁露‧考功名》:“考試之法……九分三三列之,亦有上中下,以一為最,五為中,九為殿。”清夏燮《中西紀事‧京口殉難》:“然則都統之死,固足以收拾海疆之殘局,殿諸忠而無愧色者也。”
(6)鎮撫;鎮守。《詩‧小雅‧采菽》:“樂只君子,殿天子之邦。”毛傳:“殿,鎮也。”宋蘇軾《賜孫固辭免恩命不允斷來章批答》:“卿向自西樞,出殿藩服。”明湯顯祖《紫釵記‧花前遇俠》:“齊解逞千層一捻,殿住春紅勒迸。”
(7)古代刑法的計量單位。《隋書‧刑法志》:“在官犯罪,鞭杖十為一負,閑局六負為一殿,平局八負為一殿,繁局十負為一殿。”
(8)姓。《姓觿‧霰韻》:“殿,《姓考》云:本殷湯之裔,商殿全徙撫州,因訟即以名為姓。”按:“殿”,一本作“䏁尸兀几殳㗱”。
でん【殿】
意味
①大きな建物。貴人の住まい。「殿堂」「宮殿」 ②貴人・君主の尊称。また、相手に対する敬称。「殿下」「貴殿」 ③しんがり。しり。「殿後」「殿軍」 [類]臀(デン) ④どの。人の姓名の下につける敬称。
[
] [音]デン(呉) テン(漢) [訓]との どの しんがり1 大きくりっぱな建物。「
/ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」
2 軍隊の最後部。しんがり。「
」
3 相手に対する敬称。「
」
4 「
」の代用字。「 」
[名のり]あと・すえ
建造物の部[編集]
2019年(平成31年)3月現在、国宝の建造物は、近世以前が224件(内訳:神社40件、寺院157件、城郭9件、住宅14件、民家0件、その他4件)、近代が2件(内訳:産業・交通・土木1件、住居1件)の合計226件である[14]。
なお、近世以前で言う「住宅」は城郭の御殿、社寺の書院、客殿などを指し、「民家」は町屋、農家などを指す。民家の国宝指定物件はない。
1967年(昭和42年)に法隆寺綱封蔵が指定されて以後、国宝建造物の新規指定は30年間にわたり行われていなかったが、1997年(平成9年)には正倉院正倉(奈良)と瑞龍寺仏殿・法堂・山門(富山)が指定された。正倉院正倉の国宝指定は「古都奈良の文化財」がユネスコの世界遺産として登録されるにあたっての措置であった一方、瑞龍寺仏殿・法堂・山門の国宝指定は、昭和50年代から行われてきた近世社寺建築調査によって、近世社寺建築の評価が進んだためであり、この指定以降、2002年(平成14年)の知恩院本堂・三門(京都)、2004年(平成16年)の長谷寺本堂(奈良)、2005年(平成17年)の東大寺二月堂(奈良)、2008年(平成20年)の青井阿蘇神社本殿・廊・幣殿・拝殿・楼門(熊本)の指定など、近年は近世建築の国宝指定が目立っている。
また、洋風建築の国宝は長らく大浦天主堂(長崎)のみであったが、2009年(平成21年)には近代の建造物としては初めて旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)が指定された。
領頭字
最
解形
《說文》:“最,犯而取也。人岙人䏁𢱕一一㗱,人岙人取。”
釋義
(一)zui4《廣韻》祖外切,去泰精。月部。 (1)冒犯而取之。《說文‧䏁𢱕一一㗱部》:“最,犯而取也。”吳善述廣義校訂:“最之人岙人䏁𢱕一一㗱,猶人岙人冒也,謂冒犯而取之,故曰犯而取也。”明劉三吾《許國襄簡王公神道碑銘》:“公暨諸將一见熷示睿筭,與賊䏁𠮩㶑口�B㗱,最,遂下之。”
(2)古代考核軍功或政績時以上者為最。五代徐鍇《說文繫傳‧䏁𢱕一一㗱部》:“軍功上曰最,下曰殿。”《正字通‧曰部》:“軍功有殿最……又官吏報政上考亦曰最。”《史記‧絳侯周勃世家》:“攻槐里、好畤,最。”裴駰集解引如淳曰:“於將率之中功為最。”《南史‧周文育傳》:“頻戰功最,進爵壽昌縣公,給鼓吹一部。”《新唐書‧薛苹傳》:“苹以吏最拜長安令,歷虢州刺史。”明張居正《陳六事疏》:“凡京官及外官,三六年考滿,毋得概引復職,濫給恩典,須明白開具‘稱職’、‘平常’、‘不稱職’,以為殿最。”
(3)指居於首要地位的人或事物。晉束析熷日《餅賦》:“玄冬猛寒,清晨之會,涕凍鼻中,霜凝口外,充虛解戰,湯餅為最。”唐司馬札《賣花者》:“長安甲第多,處處花堪愛;良金不惜費,競取園中最。”明湯顯祖《牡丹亭‧言懷》:“河東舊族,柳氏名門最。”
(4)要,要言。《小爾雅‧廣詁》:“最,要也。”胡承珙義證:“最者,《書‧中侯》‘乃拜稽首受最’注云:‘最,要言也。’”
(5)凡要,即簿書的綱要,總目。《漢書‧嚴助傳》:“願奉三年計最。”顏師古注引晉灼曰:“最,凡要也。”
(6)聚;聚合。《小爾雅‧廣詁》:“最,叢也。”胡承珙義證:“最當從《說文》作𠵈熷取,積也。’‘最,犯取也。’本為二字,後人多混𠵈熷取為最,𠵈熷取字遂廢。蓋𠵈熷取本有聚義,故叢亦通作𠵈熷取。”《玉篇‧曰部》:“最,齊也,聚也。”《集韻‧泰韻》:“最,聚也。”《莊子‧德充符》:“物何為最之哉﹖”陸德明釋文:“司馬云:‘最,聚也。’”《公羊傳‧隱公元年》:“曷為或言會……會,猶最也。”何休注:“最,聚也。”宋陸游《澹齋居士集序》:“最其詩,得三卷,屬某為序。”明張居正《答山東巡撫何來山言均田糧核吏治》:“以此知前旨先勘問而後論劾,最甄別糾繩之要,但撫按諸君,不能著實遵行耳。”
(7)副詞。1.表示推測、估計,相當於“凡”、“總”。《集韻‧泰韻》:“最,凡也。”《史記‧衛將軍驃騎列傳》:“最大將軍(衛)青凡七出擊匈奴,斬捕首虜五萬餘級。”司馬貞索隱:“最,謂凡計也。”《潛夫論‧實貢》:“最其行能,多不及中。”宋王安石《戶部郎中贈諫議大夫曾公墓誌銘》:“(曾)公知淮陽軍,將行,天子惜留之,直史館,賜緋魚袋,使自汴至建安軍行漕,. 詔曰凡三司州郡事有不中理者卽驗之最鈎得匿. 貨以五百萬計除祕書丞兩淛轉運 ...…最. 詔曰凡三司州郡事有不中理者卽驗之最鈎得匿. 貨以五百萬計除祕書丞兩淛轉運 ...”2.表示程度,相當於“極”、“尤”。《廣韻‧泰韻》:“最,極也。”《字彙‧曰部》:“最,尤也。”《商君書‧外內》:“故農之用力最苦,而贏利少,不如商賈、技巧之人。”《史記‧滑稽列傳》:“三子之才能,誰最賢哉!”清龔自珍《與陳博士箋》:“自珍最惡京房之《易》,劉向之《洪範》,以為班氏《五行志》不作可也。”3.表示時間,相當於“正”、“正在”。《世說新語‧賞譽》:“王大將軍(敦)與元皇表云:(王)舒風既熷木簡正,作雅人,自多於(王)邃,最是臣少所知拔。”唐司空圖《馮燕歌》:“魏中義士有馮燕,游俠幽并最少年。”
(8)姓。《萬姓統譜‧泰韻》:“最,見《姓苑》。”
(二)cuo1 《集韻》麤括切,入末清。同“撮”。《集韻‧末韻》:“撮,《說文》:‘四圭也。一曰兩指撮也。’或省。”
旆
pèi
解釋:
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1. 古代旌旗末端形似燕尾的下垂飾物。
2. 旗幟的通稱。
【例】旗旆、酒旆
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