元代至治3年(1323)3月23日、元の公主(皇帝の娘)祥哥剌吉(セング・ラギ / Sengge Lagi)によって大都(現在の北京市)の南方にあった天慶寺で「雅集」(文人などが集って 美術品を鑑賞したり、詩を詠じたりした風流な集い)が催されました。
雅集,源自於古代,專指文人雅士吟詠詩文,議論學問的集會。其中的關鍵詞是“吟詠詩文”,古人創制古體詩詞都是反复吟詠,最後成稿的。所以“吟詠詩文”不能理解為“背誦前人的現成的詩文”,而是指在雅集現場因時、因地、因主題而重新創意古體詩詞。
史上較著名的有西晉石崇的“金谷園雅集”,東晉王羲之的“蘭亭雅集”,唐朝讓王勃一夜成名的“滕王閣雅集”等等,無一例外都是以創意詩文為主。永和九年三月初三的那場微醉,不但熏出了37首詩歌,更成就了王羲之千古名篇《蘭亭集序》,及其被譽為天下第一行書的《蘭亭集序》書法。
所以古代正統的雅集都是吟詩作文唱主角,雖然現場會有其他雅文化元素諸如:琴、棋、書、畫、茶、酒、香、花等參與,但只是配角。
しゅうえい【集英】
英才を集めること。また、その英才。
… 中国から独立した10世紀に,道教的色彩を伴った精霊崇拝に仏教が融合した文化基盤が形成され,リ(李)朝にはこうした文化を背景にした今体の漢詩が興った。チャン朝以前の文籍は15世紀初頭の明の侵略軍の略奪によってほとんど失われたが,リ朝以前の詩については,チャン朝の《禅苑集英》がカイン・ヒー(慶喜),バオ・ザック(宝覚)をはじめとする禅師の詩集やその作品を伝えている。リ朝中期からチャン朝にいたって儒教文化が興隆するに伴い,朝廷を中心とする詩壇が形成されて漢詩文の隆盛をみたが,チャン朝の文学についてはグエン(阮)朝の《歴朝憲章類志文籍志》にチュー・バン・チン(朱文貞),チュオン・ハン・シエウ(張漢超),チャン・クアン・カーイ(陳光啓)などの廷臣や諸帝の詩文集の名が多く伝えられ,作品もレ(黎)朝に成った《皇越詩選》など後世のアンソロジーで知られている。…
※「《禅苑集英》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
疑雨集集注.無聊(明·王彦泓) 七言律詩押蒸韻. 題注:辛未年作.
無聊
一
風情退減久無詩,
研匣書箋罥網絲 ① 。
魘語夢魂聞婢喚 ② ,
惡愁懷抱恐儿知 ③ 。
酒於痛飲非真適,
情向新歡未肯痴。
惆悵舊遊攜手處,
木樨天氣獨來時。
風雅情懷減退很久不寫詩,
硯匣和詩箋都掛上蜘蛛絲。
夢中囈語聽見婢女在呼喚,
愁懷惡抱唯恐兒輩們得知。
酒醉於痛飲不感到真舒適,
情求向新歡不肯愛得情癡。
舊遊攜手之處最令人惆悵,
木樨花開天氣獨自前來時。
【注】
① 罥,掛。網絲,蜘蛛絲網。
② 魘語,夢魘之語,囈語。
③ 惡愁,很壞的憂愁。
二
把書移枕近床棱 ① ,
嘆息觀濤病未能 ② 。
怯暑心情猶喘月 ③ ,
背時風調獨懷冰 ④ 。
無勞天女持花散 ⑤ ,
有媿髙人選藥稱 ⑥ 。
肯過小樓言笑否,
不嫌同上第三層 ⑦ 。
手把書卷移枕靠近到床邊,
可嘆想觀海濤因病卻不能。
怕暑熱的心情猶如牛喘月,
情調背時如獨自胸中懷冰。
不必勞動天女病榻前散花,
有愧于高人為我選藥治病。
肯不肯前來小樓交談歡笑,
不嫌棄就共同登上第三層。
【注】
① 床棱,床榻承坐面的棱角,此指床邊。宋蘇轍《次韻子瞻上元見寄》:“故人隱山麓,燕坐銷床棱。”
② 觀濤,觀賞海濤。典出漢枚乘《七發》:“楚太子有疾,而吳客往問之。…… 客曰:'將以八月之望,與諸侯遠方交遊兄弟,並往觀濤乎廣陵之曲江。至則未見濤之形也,徒觀水力之所到,則卹然足以駭矣。'”
③ 怯暑,害怕暑熱。喘月,吳牛喘月之省。相傳吳地之牛畏熱,見月亦疑為日,喘息不已。見南朝宋劉義慶《世說新語·言語》。
④ 懷冰,語出陸機《漢高祖功臣頌》:“週苛慷慨,心若懷冰。”李善注引應劭《風俗通》:“言人清高,如冰之潔。”此指不諧於世。
⑤ 天女,《維摩經·觀眾生品》:“時維摩詰室有一天女,見諸大人聞所説説法,便現其身,即以天華散諸菩薩、大弟子上,華至諸菩薩即皆墮落,至大弟子便著不墮。一切弟子神力去華,不能令去。”
⑥ 選藥稱,出典不詳。
⑦ 作者自註:“用陶弘景事。”據《南史•陶弘景傳》,永元初年,陶弘景歸隱茅山,修築了一棟三層樓,自己住在上層,弟子們住在中層,來訪賓客住在下層。
床稜chuáng léng (床稜,床棱) 床榻承坐面的棱角。 ▷ 宋·蘇轍《次韻子瞻上元見寄》:「故人隱山麓,燕坐銷床稜。」
罥
注音: | |
漢語拼音: | juàn |
解釋:
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