字
- 《說文》:“哲,知也。从口,折聲。悊,哲或从心。嚞,古文哲从三吉。”
相關解說
- 《說文新證》:“金文哲字作悊,克鼎从心、从目、折聲;牆盤又加彳旁。王孫遺者鐘左上旁的訛變比較嚴重。"
關:對,文字學非我專業,故只能不斷自修,如裘錫圭先生的《文字學概要》等。但我在字庫的責任,是訂定字庫的整體規範,並確保其運作順利。最初我自己也寫了幾百條詞條,因不落手做,便難知道困難何在。後來請到中文系的人,便尊重他們的學術自由,每周請兩個助手把有興趣的例子拿出來討論,我也可從中學習,或補充意見。
如你提及我對「哲」字的解釋,便正正因我不是文字學出身,而是哲學專業而興趣旁及於古文字,才有這種互動,我看到的正是他們沒法看到的。這不是誰輕視誰,而是不同視域引伸出不同的考慮,故「哲」字於我,便是一種人於處境中求明辨的共同渴求。那種智性的搏動,在西方有西方的表述,在中國則有中國的表達,尤其是當我看見大克鼎和史牆盤的「哲」字,那寫法後來雖再無出現,但那曇花一現的構造,如有「彳」和「心」,處處可與西方的討論相比擬,正正顯示哲學的追求是跨國族跨語言的。
□郭:記得你強調「彳」之為「四達之衢」,人總是處於某環境,去回應他的問題,使我想起你曾在書中引用奧特嘉(José Ortega y Gasset)的一句「I am I and my circumstances」,如用這句話來歸納你一路做哲學和教學的經歷,有何想法嗎?例如我知道,中大語文爭議時你會寫文章回應,佔中時,你到德國做研討會又特意讓與會者知道香港的情况等等。
http://dict.variants.moe.edu.tw/yitia/fra/fra00588.htm
字號
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A00588
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正字
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【哲】口-07-10
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音讀
| ㄓㄜˊ | ||
釋義
| 明智。書經.皋陶謨:「知人則哲,能官人。」文選.王 延壽.魯靈光殿賦:「粵若稽古帝漢,祖宗濬哲欽明。」 賢能明智的人。左傳.成公八年:「夫豈無辟王?賴前哲 以免也。」唐.徐賢妃.諫太宗息兵罷役疏:「然黷武翫 兵,先哲所戒。」 |
【悊】心-07-11
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音讀
| ㄓㄜˊ | ||
釋義
| 敬重,尊敬。說文解字:「悊,敬也。」 同「哲」,智。說文解字:「哲,知也。悊,哲或從心。 」作「」形時,為「哲」之異體。 |
宇野哲人
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宇野 哲人(うの てつと、1875年11月15日 - 1974年2月19日)は漢文学者で、東京大学名誉教授。東方文化学院院長、実践女子大学学長などを歴任。皇太子に論語を進講した宇野精一は実子。浩宮の命名者でもある。[1] 東京帝国大学卒。
熊本市出身。清(中国)に留学し、次いでドイツに留学。ドイツで知見を得た西洋哲学の手法で中国哲学を分析した。
また、多くの辞典を編纂したことでも知られる。特に三省堂の初期の漢和辞典編纂者の一人である。宇野の後は長澤規矩也が引き継いだ。
目次[非表示] |
[編集] 略歴
- 1875年 - 熊本県にて生まれる。
- 1900年 - 東京帝国大学漢学科卒業。
- 1904年 - 東京帝国大学文科大学助教授。
- 1906年 - 清国に留学
- 1910年 - 帰国
- 1919年 - 東京帝国大学教授。文学博士。
- 1929年 - 東京文理科大学教授を兼任。
- 1936年 - 退官。東京帝国大学名誉教授。
- 1939年 - 国立北京大学名誉教授。
- 1945年 - 東方文化学院院長。
- 1974年 - 逝去する。
[編集] 主な編著書
- 「二程子の哲学」1900年 大同館書店
- 「支那哲学の研究」1929年 大同館書店
- 「支那哲学史講和」1939年 大同館書店
- 「中庸」(文庫) 講談社 1983年 ISBN 4061585959
- 「大学」(文庫) 講談社 1983年 ISBN 4061585940
- 「論語新釈」(文庫) 講談社 1980年 ISBN 4061584510
- 「中国哲学」(文庫) 講談社 1992年 ISBN 4061590081
- 「清国文明記」(文庫) 講談社 2006年 ISBN 4061597612
中國文明記,(日)宇野哲人,光明日報出版社,
中國近世儒學史, 125/8337, 宇野哲人著馬福辰譯, 中華文化事業委員會, 1957
宇野哲人(1875~1974)的《支那哲學史:近世儒學》[17]是概論性的書籍。此書是戰前出版的《儒學史》(上卷)[18]的續篇,其根幹乃宇野的博士論文《洙泗源流論》。[編集] 脚注
- ^ 集英社の「外国から来た新語辞典」初版十二版にある「新修 広辞典」の広告に、「浩宮さまの名付け親」とある。
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