本
| N. | 拓本,搨本 rubbings from stone inscriptions;
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拓
| Words | 1. 拓本 *[ta4ben3], n., a rubbing, esp. of ancient inscription, (the rubbing itself could be ancient and therefore important). |
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唐代から清代にいたる名品 書への憧れを語る「拓本」展
「石鼓文」(先鋒本・部分)
文字を刻んだ碑などに紙を密着させ、形を写し取った「拓本(たくほん)」。中国の唐代から清代にいたる名品を集めた連携企画「拓本とその流転」展が、東京都台東区の東京国立博物館、同区立書道博物館で開かれている。
現存する最古の拓本は中国・敦煌から出土した唐の「温泉銘(おんせんめい)」といわれるが、同じ唐の作品で天下に一つの「孤本」と言われるのが「孟法師碑」だ。碑は宋代に失われ、拓本もこれしか存在しない。
一方、漢代(165年)に建てられ、明代(16世紀紀)に失われたという「西嶽華山廟碑(せいがくかざんびょうひ)」の拓本は世に4点。本展には拓をとった年代が最も古い順徳本、字数が最多の長垣本の2点が出品されている。
ぜひ見てもらいたいのが「石鼓文(せっこぶん)」だ。太鼓の形をした10個の石に天子の狩猟の様子を韻文で記したものだが、唐代の発見以来、剥落(はくらく)が激しく、現在では第8石などは判読できなくなっている。
今回は明代のコレクター、安国の旧蔵品から、先鋒本(せんぽうぼん)など5組が観覧できる。
このほか、安国と並び、明代の収集家の双璧といわれる華夏が、安国と入手を争ったという「泰山刻石(たいざんこくせき)(百六十五字本)」や、清代のコ レクター李宗瀚が大切にした「李氏十宝」など、書の名品の陳列にとどまらず、知識人である士大夫たちの書への強い憧れを語る構成となっている。
書聖・王羲之(おうぎし)の「蘭亭序(らんていじょ)」では、欧陽詢(おうようじゅん)が模写し、それを石に刻した定武本と呼ばれる拓本の中から、著名な呉炳本(ごへいぼん)、韓珠船本などが並ぶ。
両館の連携展は8回目だ。富田淳・東京国立博物館列品管理課長はそのメリットについて、「1館あたり少ない予算で充実した展覧会が企画できる」と話す。今回は香港中文大から「西嶽華山廟碑(順徳本)」などを借用できたという。
(宮代栄一)
▽ともに5月15日まで、4月25日のみ休み。
拓本
- [ 轉為繁體網頁 ]2010年12月24日
... 拓本,凡摹拓金石、碑碣、印章之本,皆称为“
拓本”,即用纸紧覆在碑帖或金石等器物的文字或花纹上,用墨或其他颜色打出其文字、图形来的印刷品。
...baike.baidu.com/view/190419.htm - 頁庫存檔 - 類似內容印文:中央研究所歷史語言研究所圖書之記。 說明:此漢代石刻畫象
拓本數位典藏網站,
主要展示中央研究院歷史語言研究所收藏的相關
拓本。
【焦點短評 |《 #沙丘瀚戰:第二章》】
#鄭政恆
情節接續第一章,沒有提要,經過兩部合共約320分鐘,丹尼斯維爾諾夫(Denis Villeneuve)將法蘭克赫伯特(Frank Herbert)原著《沙丘》(Dune)改編完成。
視覺景觀上已於前作看到,續篇難有新鮮感。本章也不是大戰連場,而是完整帶出英雄成長故事,離家、鍛鍊、提升,以至成為眾望所歸的英雄首領,而《沙丘瀚戰》敍事上獨特之處(多得Frank Herbert)在於這也是救世主的宗教敍事,猶太教、基督教、回教的宗教元素改頭換面,套入Paul Atreides(添麥菲查洛美,Timothée Chalamet飾)的經歷之中。當然,莎劇《王子復仇記》(Hamlet)的影響也帶入電影尾聲。如果《沙丘瀚戰:第二章》並不令人感到沉悶拖沓,大概是由於電影主角從正義感、宗教力量和傳統力量出發,反擊掌握權力的帝國,牢牢把握了邊緣本土的時代感性。
#安娜
讓我盡量不過分、不刻薄地去說好了:無論是勾心鬥角的文戲,抑或是短兵相接的動作場面,《沙丘瀚戰:第二章 》連最起碼的經營和構思都欠奉,在戲劇上沒有細節和豐富性可言(它在情節上的確有一種繁瑣、複雜,但那不是一種能被視之為優點的複雜)。
譬如結尾反攻阿拉肯(Arrakeen)一場的高潮,Paul與 Fremen大軍(當然還少不了槍口一致對外的沙蟲——啊對了,精於沙之道的Fremen到底是如何叫停/剎停沙蟲呢?)三扒兩撥就打入皇帝的太空船內,話過就過,我只能夠理解為Timothée Chalamet的臉蛋就是一切的通行證。較諸同類型的魔幻史詩,無論是較近的《權力遊戲》(Game of Thrones,2011-2019)還是稍遠的《魔戒》(2001-2003), 《沙丘瀚戰:第二章 》在各方面只能做到這種程度,說它是「乏善足陳」已經是很客氣。
我知道網絡上有些影迷會貶抑《沙丘瀚戰:第二章 》(還有《奧本海默》〔Oppenheimer,2023〕)以彰顯自己的品味,和對某種電影品質的維護;我不想跌入那種窠臼。我比較有興趣去問的是,今時今日的巨型規模制作是不是只能在超級英雄電影?或像《沙丘瀚戰:第二章 》這種添加一兩滴精緻、文藝包裝的超級英雄電影呢?我很希望說不是,我第十萬次地拒絕為所謂真正的電影藝術或作者電影哭喪。如果你跟我一樣不喜歡 《沙丘瀚戰:第二章 》,唔駛悲觀,just chill,我睇到舊年有史高西斯(Martin Scorsese)《花月殺手》(Killers of the Flower Moon)同今年就快上映佐治米拿(George Miller)《芙莉歐莎:末日先鋒傳說》(Furiosa)嘅好處。
#焦點短評 | 每周評論近期上映電影
#DenisVilleneuve #FrankHerbert #添麥菲查洛美 #TimothéeChalame #丹尼斯維爾諾夫 #Dune: Part Two #Dune2 #dune2024
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