ほんがん‐じ〔ホングワン‐〕【本願寺】
京都市下京区にある浄土真宗本願寺派の本山。山号は、竜谷山。通称、西本願寺。文永9年(1272)親鸞(しんらん)の娘覚信尼が、親鸞像を安置した御影堂を吉水(よしみず)に建てたのを起源とする。北陸・京都山科・大坂石山など各地を転々としたのち、天正19年(1591)豊臣秀吉から現寺地を寄進されて移転。慶長7年(1602)大谷派分立後は、本願寺派の本山として西国地方を主に末寺1万余寺を擁する。現存の堂宇は、元和3年(1617)焼失後に再建されたもの。国宝の飛雲閣は聚楽第(じゅらくだい)からの移築、書院・唐門などは伏見城の遺構。寺宝に親鸞上人絵像・三十六人家集(以上国宝)など多数がある。平成6年(1994)「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。本派本願寺。お西。→築地別院 →津村別院
ほんがんじつきじべついん【本願寺築地別院】
⇒築地別院
ほんがんじは【本願寺派】
浄土真宗ほん‐がん〔‐グワン〕【本願】
1 本来の願い。本懐。「―を達成する」
2 仏語。仏・菩薩(ぼさつ)が衆生を救済するために起こした誓願。阿弥陀仏の四十八願など。本誓(ほんぜい)。
3 「本願主(ほんがんしゅ)」の略。
ほんがんおうじょう【本願往生】
阿弥陀仏の本願によって極楽浄土に生まれること。
ほんがんしゅ【本願主】
寺院・仏像などを創立し、法会を執行する発起人。
聖諭廣訓(せいゆこうくん) 〔淸世宗〕∥
「聖諭廣訓」(Sheng Yu Kwang Hsun; or, Amplification of the Sacred Edict). で、雍正御製の第一章をパラフレーズしたもの
御製聖諭廣訓序(雍正二年). 「書」曰:『每歲孟春,遒人以木鐸徇于路』;「記」
雍正元年,又刊《欽定聖諭廣訓》,頒發各鄉,命生童誦讀。朔望之日,亦集地方公所,
《圣谕广训:集解与研究》----康熙的“圣谕十六条”以及雍正的《圣谕广训》是清一代统治者颁布的一项重要的文化 政策,也是维护统治稳定,对老百姓进行思想、法制教育的重要手段。为了贯彻统治意志,各地方长官及文人都对这二份材料作各种通俗化尝试,有浅显的文言、口 语化的白话、以至方言的解释。本书即是关于这一专题的资料汇编,是目前可以搜集到的相关资料的集大成。全书分集解编、资料编、研究编等三编。对于研究清代 思想文化政策、制国方略及文言、白话的语言变化,本书是一份珍贵的史料。
The propaganda about the Civil Service Examination and the shengyuguangxun (聖諭廣訓) were especialy influential the process of forming Hakka customs.
(パラフレーズ 4 [paraphrase]
(1)原文の語句を別のやさしい言葉に置き換えること。敷衍(ふえん)。意訳。
(2)ある楽曲を他の楽器の演奏用などに変形・編曲すること。また、その曲。敷衍曲。改編曲。)
これらの琉球官話は、言語的には方言、特に閩語の影響が見られ、内容の上では『聖諭廣訓』等の中国の礼儀作法を知ることのできる善書や民間格言が用いられている。
前兩場考八股文與試帖詩,默寫《聖諭廣訓》。第三場考詩賦,四、五場考對四書五經的解釋。 ... 第二場為複試,考八股文一篇,試帖詩一首,默寫《聖諭廣訓》。 ...
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