台湾北部屈指の観光地「九フン」への旅
日本でよく知られている台湾の観光地と言えば、
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1. 屈指 | ||||
注音一式 ㄑㄩ ㄓˇ | ||||
漢語拼音 q zh | 注音二式 chi j | |||
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くっし【屈指】
【例文】
その時代屈指の画家
the outstanding [foremost/prominent] painters of that period
the outstanding [foremost/prominent] painters of that period
日本屈指の商業都市
the leading commercial cities in Japan
the leading commercial cities in Japan
酴醾
重釀的酒。雅俗稽言˙卷三十八˙植物˙酴醾ㄊㄨˊ ㄇ|ˊ:酴醾本酒名。唐詩,金花臘酒解酴醾是也。一曰以花釀酒,故名醾。或作酴、酴清。
荼蘼的別名。見荼蘼條。植物名。薔薇科懸鉤子屬,落葉小灌木。葉為羽狀複葉,柄上多刺,夏初開黃白色重瓣花。亦稱為酴醾。
池上看金沙花數枝過酴醾架盛開三首
故作酴醾架,金沙只謾栽。似矜顏色好,飛度雪前開。
午陰寬佔一方苔,映水前年坐看栽。紅蕊似嫌塵染污,青條飛上別枝開。
酴醾一架最先來,夾水金沙次第栽。濃綠扶疏雲對起,醉紅撩亂雪爭開。
已覺十年遲
王安石有詩題為《池上看金沙花數枝過酴醾架盛開》,此題下有兩首七言絕句與一首五言絕句。 蘇東坡讀完後,按其韻和作《次荊公韻》,並在詩中將王安石比為晉代瀟灑出塵的王羲之, 敬意備至。
王安石還曾寫過一首有名的《北山》,詩言:“北山輸綠漲橫陂,直塹回塘艷艷時。細數落花 因坐久,緩尋芳草得歸遲。”就在王安石約蘇軾在買田金陵,相作鄰居時,蘇軾十分感動,而尚屬壯年的他還不能就此看破紅塵,於是作了和詩另首《次荊公韻》, 委婉地拒絕了王安石的邀請。詩言:“騎驢渺渺入荒陂,想見先生未病時。勸我試求三畝宅,從公已覺十年遲。”于詩中表達了自己對王安石徹底和解的誠意,也體 現了對王安石急流勇退的仰慕。
1. 葆 部首 艸 部首外筆畫 9 總筆畫 13 | ||||||||||||||||||||||||
注音一式 ㄅㄠˇ | ||||||||||||||||||||||||
漢語拼音 b o | 注音二式 b u | |||||||||||||||||||||||
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葆光
韜蔽其光芒。比喻智德。莊子˙齊物論:注焉而不滿,酌焉而不竭,而不知其所由來,此之謂葆光。
王路
猶王義。指先王的法度。 《書·洪範》:“無偏無陂,遵王之義……無有作惡,遵王之路。” 周秉鈞易解:“總言君臣共同遵守之準則,以韻文出之,即《韓子·有度篇》所謂先王之法。”《史記·儒林列傳序》:“ 孔子閔王路廢而邪道興,於是論次《詩》《書》,修起禮樂。” 唐李華《御史中丞廳壁記》:“遵王路以整多方,由夫身而貞百度。”2.謂通往朝廷之路。 《後漢書·袁紹傳》:“宜先遣使獻捷天子,務農逸人。若不得通,乃表曹操隔我王路,然後進屯黎陽。”3.猶大路。 《呂氏春秋·疑似》:“ 週宅酆鎬近戎人,與諸侯約,為高葆禱於王路。” 許維遹集釋引俞樾曰:“王路者,大路也。”4.指仕途。宋李覯《感嘆》詩之二:“得志萬罪消,失志百丑生。誰云王路寬,枯槁不敢行。” 清黃宗羲《謝時符先生墓誌銘》:“君方架學區中,斟酌當世,王路非遙。” 章炳麟《代議然否論》:“選人一登王路,坐而論道,惟以發抒黨見為期,不以發抒民意為期。”
百度
1.百事;各種制度。 《書·旅獒》:“不役耳目,百度惟貞。” 晉陸機《辨亡論》:“天人之分既定,百度之缺粗修。”《新唐書·陳子昂傳》:“今百度已備,但刑急罔密,非為政之要。” 章炳麟《駁康有為論革命書》:“夫大君無為,而百度自治。”2.猶百刻。指時間。 《禮記·樂記》:“八風從律而不姦,百度得數而有常。” 鄭玄注:“百度,百刻也。言日月晝夜不失正也。”3.多次。唐元稹《追昔遊》詩:“花園欲盛千場飲,水閣初成百度過。”
特 集
神々しき匠の技
◆「葆光彩磁花卉文花瓶」
昭和初期
板谷波山
HAZAN ITAYA 1872-1963
明治から昭和へ、3時代に渡って活躍した板谷波山は、日本の近代陶芸界の最高峰と評される作家です。
その波山作品で日本屈指の蔵品数を誇る出光美術館では、今「板谷波山展」が開催され、衆目を集めています。
●本項作品および素描は、いずれも出光美術館蔵。
●写真協力:出光美術館
◆「彩磁瑞花鳳凰文様花瓶」
1923(大正12)年
■重文に指定された作品
夥しい数が作られ、残されてきたわが国の近・現代陶芸作品のなかで、はじめて重要文化財に指定(2002年)された作品「葆光(ほこう)彩磁珍果文花瓶」を作ったのが、陶芸家・板谷波山です。
この作品は、大正6(1917)年、作者が45歳のときに作られて、同年、日本美術協会展に出品し、最高賞の金牌を受賞、出世作となりました。
胴の部分を三面の窓絵とし、それぞれに籠に盛りつけたたわわな桃、枇杷、葡萄という「珍果」を描き、その間には、鳳凰や羊、魚などが配されています。
また器形はといえば、中国風な伝統的なものが選ばれているにもかかわらず、描法は線描によらず、むしろ西洋画のように表現されていて独特です。一度見たらなかなか忘れられないような、実に端正で、いかにもこの作者らしい清潔感にあふれた、品格高い作品です。
とくにこの作品は、作者自身も大層気に入っていたようで、「結果非常二良好ナリ」と記すほどの、会心の作でした。
このように、陶芸家としての創造性と実力は、他の追随をいまだに許さない希有な陶芸家が、板谷波山だといえます。
■「葆光」の輝き
明治5(1872)年、現在の茨城県下館市の旧家に生まれた板谷波山は、本名を嘉七といいます。後に、故郷の筑波山にちなんで、「波山」と号するようになりました。
東京美術学校(現・東京芸術大学)では、彫刻を専攻し、岡倉天心や高村光雲らに学びました。やがて20代の半ば頃になって、本格的に陶芸に取り組み、31歳の時、東京・北区田端に住居と工房を建て独立します。
明治時代の終わり頃から、代表的な技法のひとつとなる「葆光(ほこう)彩磁」の試作がはじまり、大正3(1914)年についに完成しました。
この「葆光彩磁」(このページ一番上と一番下の写真参照)とは、釉下彩磁の一種で、彩磁に施釉する透明釉の代わりに、失透性の釉を掛けたものです。技術的には、炭酸マグネシウムなどにより、釉中に極微の結晶を生じさせて得られた効果だと、考えられています。
◆鸚鵡が描かれ、エキゾチックな雰囲気が漂う波山の素描。
また「葆光」の意味は、光を包み隠す、また、自然のままの光です。そういえば確かに、一連の葆光彩磁作品を眺めていると、まるで薄絹や春の霞で器全体を 被ったかのように、優しく穏やかな独特の光沢を放っています。湿潤な日本固有の大気を通し、映し出されるような自然な表情、といわれるゆえんです。
一方で、これほど高度な技法を、まだ科学的な窯業技術が発達していない時代に安定させ、完成の域に到達していることに、とても驚かされてしまいます。
昭和初期に作家としての円熟期を迎え、戦後、陶芸家として初の文化勲章を受章しました。ところがその後、88歳の時に重要無形文化財保持者(人間国宝) に推挙されたのですが、これを辞退します。その理由ははっきりしませんが、老陶工の矜持だったかも知れません。
◆「彩磁草花文花瓶」
1950(昭和25)年頃
◆「葆光彩磁鸚鵡唐草彫嵌模様花瓶」
1914(大正3)年
★ 特集 板谷波山 2ページに続きます ★
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