訣要、竅門。宋史˙卷三四四˙李之純傳:之儀能為文,尤工尺牘,軾謂入刀筆三昧。紅樓夢˙第四十八回:既是這樣,也不用看詩。會心處不在多。聽你說了兩句,可知三昧你已得了。
佛教稱修行者達到自在無罣礙,且心念純淨無染的境界。景德傳燈錄˙卷八˙池州南泉普願禪師:後扣大寂之室,頓然忘筌,得遊戲三昧。
形容一個人,放浪形骸,遊戲人間的生活態度。兒女英雄傳˙第十八回:只因他一生所遭不偶,拂亂流離,一團苦志酸心,便釀成了這等一個遯跡空山,遊戲三昧的樣子。
hc請 張瑞麟先生補充
謝謝指教
線上教育部《國語辭典》解釋中所謂「胡語音譯」,實為梵語समाधि ( samādhi)之音譯。
其義譯有「定、等持、正受、調直定、正心行處、息慮凝心」等。
基本上,線上教育部《國語辭典》之解釋足矣。
提供英文解釋如下:(來源:William Edward Soothill & Lewis Hodous)
Samādhi, "putting together, composing the mind, intent contemplation, perfect absorption, union of the meditator with the object of meditation."
定(或正定) the mind fixed and undisturbed;
等持 the mind held in equilibrium;
正受 correct sensation of the object contemplated;
調直定 ordering and fixing the mind;
正心行處 the condition when the motions of the mind are steadied and harmonized with the object;
息慮凝心 the cessation of distraction and the fixation of the mind.
さんまい 【三▼昧】
〔梵 samdhi〕
0 (名)
(1)〔仏〕 心を一つのものに集中させて、安定した精神状態に入る宗教的な瞑想。また、その境地。三摩地。三摩提。定。正受。等持。
(2)「三昧場(さんまいば)」の略。
「都の外、七所の―をめぐりぬ/鉢扣辞」
(接尾)
連濁により「ざんまい」となることが多い。名詞または形容動詞の語幹に付く。
(1)ともするとその傾向になるという意を表す。
「刃物―に及ぶ」
(2)その事に熱中するという意を表す。
「読書―に明け暮れる」
(3)心のままにするという意を表す。
「ぜいたく―な生活」
0 (名)
(1)〔仏〕 心を一つのものに集中させて、安定した精神状態に入る宗教的な瞑想。また、その境地。三摩地。三摩提。定。正受。等持。
(2)「三昧場(さんまいば)」の略。
「都の外、七所の―をめぐりぬ/鉢扣辞」
(接尾)
連濁により「ざんまい」となることが多い。名詞または形容動詞の語幹に付く。
(1)ともするとその傾向になるという意を表す。
「刃物―に及ぶ」
(2)その事に熱中するという意を表す。
「読書―に明け暮れる」
(3)心のままにするという意を表す。
「ぜいたく―な生活」
-さんまい[ざんまい] -三昧
---http://yifertw.blogspot.com/2012/03/blog-post_06.html
在佛经中,“神通”一词也常与“游戏”一词组合,合 称“游戏神通”(abhijñāvikrīḍita或abhijñāvikurvaṇa)。本经也称赞維摩詰善于“游戏神通”。据僧肇《注維摩詰經》,鸠 摩罗什对第二品中出现的此词解释为“因神通广其化功,亦以神通力证其辩才”。对第六品中出现的此词解释为“神通变化,为迹引物,于我非真,故名戏也。复 次,神通虽大,能者易之,于我无难,犹如戏也。亦云于神通中善能入住出,自在无碍”。这里值得我们注意的是“于我非真”这个说法,显然体现中观的空论。
与 此相关,在佛经中,“三昧”一词也常与“游戏”一词组合,合称“游戏三昧”(samādhivikrīḍita)。《大智度论》在卷六中论及通过禅定获得 的种种神通变化,指出“化生无定物,但以心生便有所作”,故而“诸法如化”,“皆无有实”。又在卷七中提到“菩萨心生诸三昧,欣乐出入自在,名之为戏”。 因此,鸠摩罗什对“游戏神通”的阐释与《大智度论》中的论述是一致的。
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